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大阪高等裁判所 昭和43年(ネ)1599号 判決

控訴人 森貞信親

右訴訟代理人弁護士 川見公直

同 浜田行正

同 古川彦二

右川見訴訟復代理人弁護士 香月不二夫

被控訴人 星光製菓株式会社

右代表者代表取締役 奥田保雄

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 森昌

同 加藤正次

同 高木伸夫

同 井岡三郎

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人星光製菓株式会社は控訴人に対し金四、〇八九、七九九円とこれに対する昭和四〇年九月六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。被控訴人奥田保雄は控訴人に対し金九一〇、二〇一円とこれに対する昭和四〇年九月六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴人ら代理人は主文同旨の判決を求めた。

≪以下事実省略≫

理由

一、控訴人が被控訴人らから(1)昭和三九年一二月一六日付の売買契約により、原判決末尾添付目録記載の(ハ)土地と(ホ)建物を(2)昭和四〇年三月一三日付の売買契約により同(イ)(ロ)土地と(ニ)建物(以上のうち(ホ)は被控訴人奥田個人の所有、その余は被控訴会社の所有)を、代金は(イ)(ロ)(ハ)の土地の坪単価を定めてその実測面積により決定し、建物は代金決定上特に考慮しない、との約で買受けたこと、及び控訴人が右(1)の物件につき被控訴人らに対し、昭和三九年一二月一六日に手付金一〇〇万円、同年同月二二日に追手付金一〇〇万円、同四〇年三月一二日に内金一〇〇万円、以上合計三〇〇万円を支払ったことは当事者間に争いがない。

しかして、右売買契約はもと昭和三九年一二月一六日一通の契約書により一括して締結されたものであるが、その後昭和四〇年三月一三日前記内金一〇〇万円授受のさい、後記梶司法書士の発案で便宜二通の契約書に書き改められ、恰かも二回にわたり前記(一)(二)の契約を締結したような体裁がとられたこと、及び本件売買契約の内容は次のとおり定められたこと、すなわち、「(イ)代金坪当り一七万円。(ロ)所有権移転登記申請日を昭和四〇年七月末日とし、双方訴外梶文男司法書士事務所に出頭してこれをする。売主は買主またはその指名した者に対して売買に因る所有権移転登記に必要な手続を完了し、これと引換えに買主は売主に代金を支払う。(ハ)売主は右期日に買主またはその指名したものに目的物件を完全に明渡す。(ニ)売主は物件上に抵当権、質権、先取特権または賃借権等の登記があるときは所有権移転登記の時((ロ)の代金支払の時)までにこれを抹消する。(ホ)一方が右(ロ)ないし(ニ)の義務の履行を怠ったときは相手方は何らの催告なく契約を解除することができる。(ヘ)売主が買主の義務不履行を理由として契約を解除したときは買主は手付金を放棄する。(ト)買主が売主の義務不履行を理由として契約を解除したときは売主は手付金の倍額を支払う。」(但し、(イ)の代金額については税金対策上契約書面においては(一)の契約は坪当り一六万円、(二)の契約は坪当り一四万円と表示し、また(ロ)の履行場所についても書面上は空欄にしてあるが、契約書自体前記梶司法書士事務所に依頼して作成した関係上、当然のこととして同所とする旨双方諒承していた)以上の事実は≪証拠省略≫によって認められ、他に反証はない。

二、控訴人は本訴において被控訴人らに対し、本件売買契約は被控訴人らの義務不履行により解除した旨主張して、前記内金一〇〇万円と手付金倍額四〇〇万円、合計五〇〇万円の支払いを求めるから検討する。

(一)  昭和四〇年八月七日の解除の効果について。

まず、控訴人は、被控訴人らは前記約定(ロ)の履行日である昭和四〇年七月末日に所有権移転登記、物件の明渡しをしなかったから、同年八月七日着の書面(内容証明郵便)で被控訴人らに対し契約解除の意思表示をした旨主張し、そのうち控訴人が右主張のような解除の意思表示をしたことについては当事者間に争いがない。しかし、右契約解除については、買主である控訴人も右履行日に被控訴人らに対し何ら代金を提供していないことは控訴人自身これを認めているのであるから(なお、後記事情によると、本件売買契約においては被控訴人側より右履行期の延期方の希望申入があったが、この程度の申入れは直ちに事前履行拒絶とは解し得ないし、その他に控訴人が当日自己の牽連債務たる代金を提供することなしに有効に契約を解除することができるような特段の事情は全く認められず(その主張もなく)、却って、後記認定の契約締結前後の経過事実と契約履行上の信義則に鑑みると、控訴人側にこそ不誠実があったことが認められる)、右契約解除は爾余の一切の判断をなすまでもなく、その効力がないこと明白である。

(二)  昭和四〇年八月末日の解除の効果について。

そこで、次に昭和四〇年八月末日の解除の当否について按ずるに、控訴人の主張によれば、控訴人としては当時前記(一)の解除により本件売買契約は当然終了したと考えていたが、その後被控訴人らから書面により「控訴人は履行期を昭和四〇年八月末日に猶予することを承認した。よって、被控訴人らは同日午後一時梶司法書士事務所において所有権移転登記手続をするから、控訴人も残代金を持参してほしい」旨申入れてきたので(この申入れがあったことは当事者間に争いがない)、もし、被控訴人らにおいて当日履行の意思があり、かつ可能であるなら、前記売買契約と同一内容の新契約がここで成立したとの見解の下に、右指定日時に指定場所に代金持参の上出頭したところ、被控訴人らはまたもや自らの債務(所有権移転登記の準備、訴外福徳相互銀行の根抵当権設定登記と代物弁済予約を原因とする所有権移転請求権保全仮登記の各抹消登記の準備、物件の明渡し)を履行しなかったから、控訴人は当日再び右契約を解除した旨主張するから、審究する。

右昭和四〇年八月末日の履行期日が控訴人主張のように新契約上の履行日であるか、被控訴人ら主張のように本件売買契約自体の履行期日の合意による延期日であるかは暫らくおき、まず、本件売買契約成立の経緯、双方の履行準備の情況、履行の提供の存否等について検討すると、次の事実が認められる。

すなわち、≪証拠省略≫を綜合すると、次の事実が認められる。

(1)  本件売買契約は、もともと控訴人が、本件土地の南隣に工場のあった訴外サンノウ化学工業株式会社の事業に乗り出し、代表取締役となってその工場拡張を企図し、本件土地の買受けを所望したことに端を発し、買主たる控訴人側の仲介人松野利男と売主被控訴人ら側の仲介人大谷宏之との間の数ヵ月にわたる接衝を経て成立したもので、その履行期(いわゆる取引日)については、被控訴会社が現に本件土地でチューインガム(商品名セイコーガム)製造販売を営み、被控訴人奥田もここに住んでいたので(被控訴会社が菓子類製造販売を業とし、被控訴人奥田がその代表取締役であることは当事者間に争いがない)、これを売却するにしても代替地を必要とした関係上、当初は昭和四〇年五、六月頃にするとの話しも出たが、結局同年七月末日と定められた。しかし、これも被控訴人らの移転先の都合上、一応のこととし、実際は多少延びてもやむを得ないとの含みであったのが実情であった。

(2)  ところが、控訴人は折角本件売買契約を締結し、手付、内金合計三〇〇万円の支払いまでしながら、その直後に前記訴外会社の経営状態の悪いのに嫌気がさし、早くも昭和三九年一二月末には右会社から手を引くことに決し、その結果本件売買契約によって控訴人側の企図した実質的目的は殆ど消滅するに至ったので、控訴人は一応は買受け土地のうち(ハ)土地は自己の住所、事務所、倉庫(控訴人は合成樹脂原料の販売業を自営していた)に使用し、(イ)(ロ)土地は転売するとの方針を立てたが、もとより従前の熱意は既に失っていた。

しかし、被控訴人側は契約成立後、前記取引日を目途に急ぎ代替地を物色し、結局昭和四〇年三月末頃前記松野利男の仲介で大阪市生野区巽四条町四七番の三、宅地一一四坪と同番の四、宅地一一三坪を見つけ、同年四月三〇日これを代金約一、四〇〇万円で買受け、右代金は本件土地等を担保に訴外福徳相互銀行から融資を受けて支払い(但し、終局的には控訴人から支払いを受けるべき代金で決済する予定であった)、更には同年五月から右代替地に工場等の建物の建設に着手する等着々履行の準備を整えていた。しかし、時たまたま梅雨期に当ったため右工場等の完成が遅れたので、被控訴人奥田は同年七月一〇日頃になって控訴人側の仲介人たる訴外松野利男に対し、「出来れば取引日を八月末日に延期してほしい」旨申入れたところ、同人は「その程度の延期ならよかろう」と答え、後日これを控訴人に伝えた(もっとも、被控訴人奥田は、これとて控訴人がどうしても拒否するのであれば、本件土地上の工場内設備等は取敢えず南河内郡太子町にある実家に移せば七月末日の取引に応ずることもできた)。

(3)  しかるに、控訴人は前記のような同人側の内部事情の変化に伴い、右被控訴人側の新工場建設遅延をよいことに、売買契約自体を解消したいと考えたものか、右延期には応じられないとの態度をとり、同年七月末日の約定期日に被控訴人側の履行がなかったという理由だけで同年八月七日の前記第一回の契約解除の意思表示をしたが(この解除が無効であることは既に説示のとおり)、他方被控訴人側では、既に前記のとおり代替地を購入していたため、納税上も(租税特別措置法上の買替え資産に関する譲渡所得の特例参照)本件土地等の売却が是非とも必要であった(被控訴人奥田は昭和四〇年五月になって、はじめて前記サンノウ化学工業株式会社の野中前社長から「控訴人は会社から手を引いたので、もはや本件売買契約もうまく行くまい。」との話しを聞いたが、その時は既に前記代替地を購入済みであった)ので、行き掛り上再び双方の仲介人松野、大谷らを介する接衝が重ねられ、その間控訴人は代金の減額を申入れ、また(イ)(ロ)を転売し利益を折半する等の妥協案を出したが、被控訴人側はこれを容れなかった。

そこで、控訴人はいよいよ本件売買契約の白紙還元(すなわち、既払い手付金、内金の返還を受けた上契約を解除すること)を決意し、これがために何とか契約解除の主導権を握ろうと考えたものか、下記の通り被控訴人側の希望する前記八月末日の取引をそのまま容れた上、そのさい自分は形式上履行の提供の体裁を整え、かえって被控訴人側の履行準備の不足を衝こうとする方策に出た。

(4)  そこで控訴人は当日(昭和四〇年八月末日)あらかじめ被控訴人側の本件土地明渡不履行を責めるための証拠とするため、ひそかに本件土地上の被控訴会社工場の右当日の外観状況の現場写真を撮影した上(但し、本訴では提出しない)、午後一時頃妻森貞春子のほか、証人にする積りで右現場にも伴った友人中村嘉吉とともに梶司法書士事務所に赴き、大谷宏之や被控訴人奥田と会したが(松野は不出頭)、控訴人としては当初から契約履行即ち代金支払の意思は全くなく、ただ残代金約二、〇〇〇万円(現金約五〇〇万円と小切手六通額面約一、五〇〇万円)を同被控訴人や大谷の面前に示しながら、語気を荒くして「払う金ぐらいはある。しかし、被控訴人側の土地明渡しは未だ出来ていないし、銀行の抵当権設定登記も残っているではないか。契約は解除する。」と言い続け、被控訴人側の弁明すら聞こうとせず、梶司法書士がとりなす余地もなく、その場は双方物別れとなって終った。しかし、ことの真相は、被控訴人側では、同年八月に入って得意先等に工場移転の挨拶状を発するとともに、同月二八日頃から工場内の機械設備等の移転作業を進め、当日はボイラー、煙突等を残す程度であり、これも数日を出ずして撤去し得る状況であったほか、所有権移転登記手続に必要な書類も梶司法書士の手で準備されており、前記福徳相互銀行の根抵当権設定登記等抹消登記に必要な書類も整えられ、控訴人の支払う代金を右被担保債務に充当すべく手筈がなされており、現に右銀行の係員も同所に出頭していた。

以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

以上の事実関係によれば、控訴人は、昭和四〇年八月末日の履行期日(それは、特に控訴人主張の再契約の成立と解すべき顕著な資料が認められないから、本件売買契約の履行期の合意延長期日であると解すべきである)には、先の同年七月末日の履行期の場合とは異り、一応は履行場所に出頭し、形式上、外形上は残代金約一、五〇〇万円(現金、小切手等)を現実に売主被控訴人らに示したことが認められるけれども、控訴人がこのような所為に出た真意は、実は前記のような経緯上専ら自分が解除権を行使して既払い手付金(正確には手付倍額)、内金の返還を受けたい目的で、自己の債務は適法に履行の提供をしたとの外形を整えるため(また、一方では控訴人の心情として、契約を解除したのは自分に代金支払能力がないためではないことを顕示するため)であったに過ぎず、従って、前記金員、小切手はこれを被控訴人側に交付する意思は全くなく(この点、特に当審における控訴人本人尋問中において、控訴人は右当日、取引はしない積りで行った旨明言しているところから、明白である)、畢竟控訴人は前記代金を単に見せ金として持参し、被控訴人らに示すだけの資料に使ったものと認めるべきものであり、いまこれを契約履行上の信義則に照らすと、このような交付の意思のない見せ金の提示をもって適法な代金債務履行の提供とは到底解することはできない。また本件の場合、控訴人が自己の牽連債務たる代金の提供をなすことなく有効に契約を解除することが許されるような特段の事情が全く認め難く、その主張もないことは前記第一回の契約解除に関する説示と同断である。

そうすると、控訴人のした昭和四〇年八月末日の第二回の契約解除の意思表示も、爾余の判断をまつまでもなく、その効なきこと明白である。

以上のとおりであるから、控訴人の契約解除の主張はすべて失当である。

三、次に、控訴人の不当利得に基く請求について按ずるに、控訴人主張の解除原因に基く本件売買契約の解除が無効であることは前説示のとおりであり、他に本件売買契約の終了原因につき主張のない本件にあっては、本件売買契約はなお存続しているものというべきであるから、被控訴人らの収受した本件手付金、内金合計三〇〇万円をもって法律上の原因なき不当の利得と解する余地はない。

そうすると、控訴人の右不当利得金返還の請求もまた爾余の判断をなすまでもなく失当である。

四、よって、控訴人の本訴請求は全て失当としてこれを棄却すべく、結論においてこれと同旨の原判決は正当で、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長判事 宮川種一郎 判事 竹内貞次 畑郁夫)

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